『田舎暮らし』

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田舎暮らしをしたいなって思った事もなかったけど、家に縁があって田舎で暮らすことになった。
実際に暮らしてみると、そのことばの中から想像できなかった豊かさにたくさんあふれている。
豊かさ、と表現したけど豊かさということばには置き換えられないかもしれない。

引っ越してすぐに、ここの人たちはことばが違うと思った。
それは方言ということだけではなくて、その人のことばがその人の経験や日々感じたことから
出るその人そのものの言葉だなって。
京都での生活ではそんな風に感じたことはあまりなくて、いろんなジャンルや文化に合わせて
言葉を皆選んで話してるようだった。皆いろんなことばを話すし、たぶん私もそうだった。

どっちがいいとかじゃなくてなんだか不思議だなあって思いながら生活してる。
お風呂を「沸かす」は火で沸かしてたから「沸かす」なんだなあって、追い焚きも「追い焚き」
だなあって切った廃材の薪を燃やしながらよく思う。
風の強い火は煙突から逆流して火事のもとになるから火は焚かない、氷点下の夜は凍結防止で
水道のお水をちょろちょろ出しておく、雪道を運転するときはスコップを車に積んでおく。

遊びに行きたいイベントもお店もギャラリーも、数で言えば都会のほうが断然たくさんある。
でもここにいるのが面白いのは生活の経験値が増えていくからだろうか。

『田舎暮らし』をしている近隣の人はとても幸せそうだなと感じる。
日の出とともに起床して、洗濯してごはん作って、日中畑や山仕事をして、近所の人とおしゃべり
したり、おばあさんの世話をして、ごはんの支度をして、こどもや孫が帰って来たら食卓を囲んで、
明日の天気を見ながら明日の予定をたてていく。
誰も通らないような道でも自分の家の周りは草刈りも花壇もきれいに手入れして、手間のかかる
収穫物の保存食もたくさん仕込んでおすそ分けしてくれる。
雪かきも段差をつけて孫が転ばないように工夫したり、となりに住む私の敷地までも
トラクターでかいて助けてくれた。

忙しそうでかつ、生活の達人だなあって感心してしまう。
取るに足らない1日に見えるかもしれないけど、
1日の過ごし方は積み重なってその人をあらわす人生になっていく。

おとついうちに取材に来てくれた小山さんが家を誉めてくれて、
この家は私そのものですねって言われたことが静かにとてもうれしかった。
私は周りの人たちみたいにあれこれこなせないけれど
家を育てていきたい気持ちは大事にここで暮らしたい。



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